久々に美術史の授業。
やっぱり美術史は面白いし、好きだなぁ〜。
PCでとったノートをそのまま記載。
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ポンペイ
エルコラード(隣町、発掘途中)行く価値あり
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初期キリスト教美術 〜3C
ローマ・カタコンベの壁画
彫刻『羊を抱える男』初期キリスト教美術館 バチカン
・特徴 象徴性(禁じられた宗教故に露骨な表現を避ける)
モーゼの十戒より偶像崇拝の禁止
モチーフは古代ギリシアの作品に撮っている
新約聖書:羊の話→男がキリストでもあり、羊がキリストでもある(羊は生け贄の象徴)
4C 『キリストの洗礼図(洗礼者ヨハネ)』ラヴェンナ
この頃にはると、キリスト教が認められ始めたので、キリストを直接描いた図像が表れ始める。
しかしヨルダン川の神様も同時に描かれるなど、まだ唯一一神教としての性格が弱いことが認められる。
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ビザンチン美術
トルコ・イスタンブルより(コンスタンティノープル)
ハギア・ソフィア(ビザンチン美術を代表する建築)
サンヴィターレ教会 6C ラヴェンナ
円形からなる教会堂→本来円は異教の証なので、これは珍しい(cf.パンテオン)
古代ローマの伝統を受け継ぐ写実性と、象徴性という空間への無頓着の混在(人物の足が重なっている)
遠近法の狂い
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中世ヨーロッパの美術 10-12C
ロマネスク美術
宗教関係者によって成立する美術(ゴシックは職人たちによる)
・ピサ大聖堂
隣にカンポ・サント、シノッピア(下絵)美術館 世界で唯一のデッサン美術館 Museo di sinopia
交叉穹窿・半円アーチ (←→肋骨穹窿リブボールド、尖頭アーチ)
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マエストロ・グリエルモ 12C初期 サルザーナの教会にある最初のクローチェ・ディヴィンタ
『勝利のキリスト』
『苦悩のキリスト』13C
Giotto di Bondone(1267-1337)フィレンツェ
→弟子Simone Martini(~1348)シエナ派
ジョット サンタマリア・ノヴェッラ教会(フィレンツェにあった)「死せるキリスト」14C
1310 聖母子像 母親・女としてのマリアの表現
シモーネ・マルティーニ 『マエスタ』シエナ市庁舎 パロットプッブリコ
フランスゴシックの影響を多大に受けている作品。
→ジョット・マルティーニの表現にはフランスゴシックの影響があることを忘れるべからず。
ルネサンスの誕生に大きく寄与。
※アンジュー家(?)と組んでいたフィレンツェではシンボルフラワーは百合だった。
それを使うことを嫌がったシエナ派の画家は、「受胎告知」の天使の花にシュロを用いている。
シエナ大聖堂旧入り口脇の美術館も必見。
1348年ペストの大流行
ボカッチオのデカメロン(10日物語)
当時のイタリアの様子が書かれている。
ペストの恐怖が去って、ルネサンスとの過渡期に流行った様式が、国際ゴシック様式gothique international
ここでの国際は、汎ヨーロッパ的ということ。
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ルネサンス
ブルクハルト「ルネサンスとは世界と人間の発見の時代である」
・何がルネサンス期の芸術家を古代ギリシア・ローマにかき立てたのか?文化を復興しようという意図が彼らにあったのか。
ギベルティとブルネッレスキの比較から
1401年フィレンツェ洗礼堂を飾るレリーフのコンクール
主題は、『イサクの犠牲』
静かな構成のギベルティの作品が選ばれた?フィレンツェは商人の街であるから保守的な作品が尊まれた?
ブルネレスキは以降、ローマで建築に従事し、フィレンツェに帰りサンタマリア聖堂の大クーポラを見事作るようになった。
遠近法の問題
・科学的遠近法
・空気遠近法
ドナテロのレリーフ
初めて線遠近法が用いられた記念碑的作品
フィレンツェのダヴィデ像(ドナテロ作。黒いダヴィデ。ルネサンスで最初にコントラポストを用いた彫刻でもある。)のある美術館の聖ゲオルギウスの彫像の下のレリーフ
マサッチオ『聖三位一体』vers1428 667cm H x 317cm W
科学的遠近法を最初に用いた絵画。
キリストの神性を表している。
フィレンツェ サンタマリア・デッレ・カルミオ教会 à aller
ピエロ・デッラ・フランチェスカ←数学者だった『ブレラ祭壇画』
キリスト教美術で、両手両足に聖痕、胸に傷があって剃髪ならば聖フランチェスカだと思ってよい。
ローデンバック 「死都ブルージュ」→フランドルについての歴史小説
ヤン・ファン・エイク『アノルフィーニ夫妻』
ボスの「最後の審判」とラファエロの「聖ゲオルギオス(?)」とに関連が認められる?
炎の表現、怪物の表現。
ラファエロはウルビーノ生まれ。
ウルビーノ公を描いたフランチェスカの絵にはフランドルコンポジション(世界風景画)の背景。
これはフランドルの画家の影響によるものではないか。
例としてロランの聖母(ヴァネック)に見られる。ヴァネックやボス自身はウルビーノに滞在した記録は無いが、それに類するフランドルの画家が滞在したという記録は残っている。
→果たしてボスのような化け物表現が他のフランドルの画家に浸透していたのか、という疑問は残る。
アントニオ・デル・ポライオーロ『ヘラクレスのヒドラ退治』
初めて美術解剖を行った画家。作品はウフィッツィ美術館にあるが、本作は絵葉書ほどの大きさなので見逃しやすい。
新プラトン主義は、中世のキリスト教一辺倒の世界観ではなく、プラトンの思想をキリスト教的に吸収したもので、コスモポリタン的性格を帯びている。
ラファエロの『アテネの学堂』には古今東西の重要人物(ゾロアスターまでも)が描かれていることから、このことを最も体現していると言える。
レオナルド 孤高のひと
『子羊を抱くキリストと聖母』マリアは犠牲となる運命からイエスを引きはがそうとしている?アンナはそれを押しとどめようとしている?
2枚の『岩窟の聖母』について
真筆度で言えばルーヴルのものの方が高い???
『最後の晩餐』
ミラノ公ルドヴィーコの依頼。完成直後よりひび割れに見舞われる。
直後にフランス軍の進軍によりペイされず。
報われない天才レオナルド。
ミケランジェロ 激情のひと
『ダヴィデ』コントラポスト アカデミア美術館 青年として表されているのは、フィレンツェの街が成熟してきたことの証。
ドナテロのダヴィデは少年なのは、まだフィレンツェが成長途中の街であったからだとも。
『ロンダディーニのピエタ』 ミケランジェロ最晩年の、ピエタ最高傑作と言われる。
未完成作品が多い。のは、受け手がその先の完成を想像できるから?
ラファエロ 調和のひと
『大公のマドンナ』
お師匠ペルジャーノ
『ヒワの聖母子』ヒワは死の象徴。ヨハネがキリストの死を予告しているかの様。
最晩年の作品『キリストの変容』バロックへの予告となる作品 ローマで描かれた。
美術の中心はフィレンツェからローマへ。
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1506年頃、ローマでラオコーンが発掘。ミケランジェロが真っ先に駆けつけ、その激しい動き、ヘビの表現などに影響を受けた。
ローマの略奪、宗教戦争などの不穏さ・激動が画布に影響したとも。
↓
マニエリスムへ。
manière isme
ルネサンス3大巨匠のマニエール(形式)に則る。マンネリズム。形式を意識しすぎるがゆえに反動で壊れる。
フィグーラ・セルペンティーナ
ブロンツィーノ『愛の寓意』ロンドンナショナルギャラリー
パルミジャニーノ『首の長い聖母』
バロックのリアリズム
カラバッジョ『バッカス』
『果物かご』ポンペイ以来1500年ぶりの静物画。
『マグダラのマリア』教会から受け取りを拒否された。マグダラのマリアのアトリビュートは、香油、髑髏。ヴァニタス。
ベルニーニ
「ローマはベルニーニを必要とし、ベルニーニはローマを必要とする」と当時の教皇。
『恍惚の聖テレジア』バタイユ「エロティシスム」の表紙だったか…。
イタリア・バロックまとめ
超遠近法。宗教改革で神を疑う人々に、神の世界を感じさせるためのおそろしいまでの超遠近法的世界。視覚の非日常的体験を促すものとして、建築との境界のあやふやな天井画など。
アルテミジア・ジェンテレスキ
最初の女流画家。カラバッジョの影響の強い明暗表現。
ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール
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ロココ
ヴァトー『シテ島への船出』しかし実際はシテ島から帰っていくところだとか。
ブーシェ『水浴するダイアナ』
フラゴナール『ブランコ遊び』
ファンタン・ラ・トゥール パステル画の名手。『ポンパドゥール夫人』
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・新古典主義
ポンペイの発掘が本格化。古代ローマに関する関心が増していく。
ロココへの反動も。
ダヴィ『ホラティウス兄弟の誓い』『サビニの女たちの略奪』新古典主義の巨匠
カノヴァ『ヴィーナス像』古代ローマへの心酔
アングル「ラ・グランド・オダリスク」
・リアリスム
ジェリコー『メデューズ号の筏』フランス海軍が起こした事件。救命ボートを積まずに出航した船が難破。1816年7月。400人の船員のうち、15人が生存したという。
マネ『オランピア』「ヴィーナス」の名の下から女性の裸体を解放。
カヴァネル『ヴィーナスの誕生』ヴィーナスとつくことでサロンに許容された例。
マネ『草上の昼食』1863年
モネ『印象 日の出』1874年
ピカソ『アヴィニョンの娘たち』1907年
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