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2012/04/11

台湾の旅 編

おっと!仕事を始めてからばたばたしていて旅の記録がさまよってしまった。

という訳で、完結に、台湾の旅を。

<To Taiwan Playlist>

相対性理論 - チャイナアドバイス
さよならポニーテール - あの頃
Adele - Rolling in The Deep







*

北米から帰国して1日後へチャイナエアラインで台湾へ。
これまでの旅と比べると、飛行機の短いのが嬉しい。
アメリカで勝ったPeloton MagazineとPro Cycling誌を読んでいたらあっという間に到着。

さて、台湾である。
実はこの先のヴェトナムへのトランジットのチケットがうまく手配できず、急遽一晩をこの国で過ごすことに決めたのだった。
いろいろと考えたが、強行であることに目をつぶって中学生時代に雑誌で見たテナガエビ釣りをしようと画策。
確かロッド&リール誌で、村上晴彦氏が巨大なテナガエビ釣りに興じていたような記憶があるが、もう10年も前なので定かでない。

Taoyuan

調べてみると、確かにエビの釣り堀はあるが、台北の外れ、山奥のようだ。
その近くには士林という台北屈指の夜市があるので、それを冷やかしたあとにエビを釣りに行くことに決めたのだ。
が、直前で士林の夜市は現在休業中との報を受け取り、途方に暮れた機内であった。

しかも、着いてみると機内から見る桃園の街は雨にそぼ濡れている。
早々に宿に入って、ビールでも飲んでのんびりしようと思い、出国検査(カスタムの人が愛想いい。なぜだかそんなことがすごく嬉しく感じるのは一人旅だからか?)を終えてゲートをくぐると、
思いもよらぬ方向からぼくの名を呼ぶ声が。

! ほんの2週間前に日本で知り合った台湾人の友人たちがなんと迎えに来てくれたのだった。
なんというサプライズ…。まったく予期していなかっただけに、ほんとにサプライズ。
サンライズの国から来た僕がサプライズ。
せっかく今をきらめく美人女子大生が4人も迎えてくれたというのに、あまりの予期しなささにヒゲも剃っていない始末。
こんなんだったら襟つきのシャツくらい着てくれば良かった。

Taoyuan

そんなことを全く意に解さない新竹美女たちは、台北は遠いが空港はまだ近いということで迎えにきてくれたのだった。
桃園国際空港は、彼女たちの大学のある新竹と、台北のちょうど中間にある。
そんなわけでタクシーで桃園の街へ。

Taoyuan

雨に濡れたアジアの街というのは、なんとまぁ妖艶なことか。
ヨーロッパの街には、ただ雨に耐える静けさがあるが、アジアの街では雨はその猥雑さをさらに増す都市の吐息のように感じられる。
マレーシアでも、タイでもそうだった。
東京はどうだったかな…と離れてもう何年にもなる巨大都市と目の前の街並を重ねようとしていると桃園の駅に到着。

台北行きの切符を先に買い、電車の時間までみんなで夜ご飯。
近くの屋台店舗に入って思う存分注文する。
といっても、彼女たちができぱきとやってくれるので、こちらの作業は漢字から推測されるものと実際の料理がどれだけ似ているか、と見るだけである。

Taoyuan

Taoyuan

Taoyuan

麺に魚のツミレ、豚のミミ(ミミガー)、モツをいただき、お酒のないことを憂うと、
とりわけ英語でよく話してくれるJillが、ちょっと待っててと近所にビールを買いに走り、しばらくして戻ってきた。
お店に持ち込んでもいいの、と聞くと、
「台湾はフリースタイルなのよ」
と言った。

Taoyuan

Taoyuan

1時間あまりという短い再会だったが、デパートに連れて行ってもらい、お土産とビール(またかい)を買い、駅で美女たちと別れる。
台北行きの列車にひとり揺られながら、

人のつながりはなんて尊いのだろう

と思った。


Taipei

雨降る台北の街に到着し、メトロに乗り換える。
清潔な駅の雰囲気は日本に似ている。そして、東京のように路線が繁茂していないのも好ましい。
あんなもの、日本人だってわからないのに外国人の苦労を思うと涙が出る。

駅から上がり、宿を探して雨の下さまよう。
それにしても、今回の旅は新しい国に着いた日はいつも雨が降っている…。
交番で道を聞いて、宿へ。

ユースのような体裁ながら非常に綺麗な宿。
3つくらい上だろうか、お姉さんがフロントにいる。
手続きをしながらあれこれ話す。翌日の空港行きのバスの発着場所なども聞く。
とても感じのよい応対に、いよいよ台湾は日本のように人に丁寧な国だと知る。
日本人も本来、人の好きな民族だと思うけれど、台湾人の人好きもおそらく負けてないだろう。
果たして台湾人も、集団になるとあの陰気な弱者蔑視と排除の理論を持っているのだろうか。
和を重んじるあまりに、出る杭はまだ埋められなければならぬ。
残念ながらそこまで知るほどの時間と機会に今回は恵まれていない。

このお姉さんには、あなた英語がうまいわね、"日本人の割には"、と言われた。
僕のレベルでうまいと言われるなんて、日本人の英語はどうなっているんだ…と嘆くよりも
ほめられた嬉しさで有頂天になっていた。だって、英語をほめられたことなんて人生で一度も無かったから。
ええ、俗物ですよーだ。

ビールを一杯。
一人旅で、異国の安宿の夜に飲むビールは、美味しい。
夜行列車の中で飲むビールの次に美味しい。
あぁ、おいしい…。
モールスキンに旅の記録をつけて、就寝。

*

雨上がりの翌朝は台北の街を歩く。
といってもこの日の昼過ぎにはフライトなので、極限られた時間だけの、ショートプロムナード。
こんなとき、カメラがあることに感謝したくなる。
一眼レフのファインダーから世界を覗いているるとき、深淵もまたこちらを覗いているのかは定かではないものの、
とにかく楽しいものである。
この言葉を言ったのが、ニーチェだったかヘーゲルだったかも、もう忘れてしまった。

Taipei

Taipei

Taipei

Taipei

Taipei

ふらふらとしながら、街を駆け抜けていくバイクの群れを眺める。
おお、多いなと思ったが、この印象は次に行く国で全く覆されることになる。

肉の入ってない野菜の「まん」とココナッツジュース、コーヒー豆屋でエスプレッソを飲んだり。
路地裏の市場に入って、地元の人が麺をすする屋台でぼくも麺をすすったり。
地元の人に近いことをしているような、観光客の傲慢ともいえる満足度を得て、バス停へ。

Taipei

Taipei

Taipei

バスで、昨夜降り立ったばかりの桃園国際空港へ。
束の間の滞在。束にすらならないような短い時間。
しかし改めて、旅は人との出会いが作るのだと感じた時間だった。

また来なくてはならないな、この国は、

まだテナガエビも釣っていないことだし。

2012/04/01

モントリオールの旅 編

苦労するほどではないが、二度三度聞き返される/聞き返すを繰り返さないと意志の疎通がとれなかったニューヨークを離れ、いざ向かうはモントリオール。
北米の都市では一番に行きたかった街である。
それというのも、ケベック州はフランス語圏だから。
今でも思い出せる、大学時代のフランス人の先生がいつか言っていたことが、長らく僕の心に残っていた。

『フランス人はケベックのフランス語を汚いだとか、粗野だとか言いますが、外来語と移入文化にまみれて変化著しいフランス語のそれより、ケベックには純粋なフランス語が、かつてフランスで話されていた言葉が残されているのです。』

Montréal

曲がりなりにもフランスに住み、ツール・ド・フランスを頂点とするフランスの文化に浸かろうとした身としては、
まずフランスを自身に近づけるのに必要な窓がフランス語だった。
とはいえ、短い留学とツールの取材を終えて帰国した後、日本海のひっそりとしたした雪国に居を定めてからというもの、
この言語に触れる機会は激減し、またはじめこそ触れる努力をしていたものの、次第に諦めにも似た自分への説得をしては、
この言葉を使わなくなったことを正当化していた。

そんなわけで、ほとんど使わなくなったとはいえ、英語が話せない僕にとっては世界を覗く窓はフランス語しかなく、
また、同じ言語が世界の違う大陸で話されているという点にも非常に興味を覚え、いつかは行ってみたいのがケベック州だったのだ。
このあたりの感覚は、日本という一カ国だけ(しかも島国!)で使われている言語の話者としてはなかなか掴みづらいもので、
“まず海外では日本語は通じない”というスタンスをとらざるをえない僕らを、相対化できるのではないかと期待してみた。
そして、文化植民の歴史だとしても、世界で通じる言語を持つフランス人の、あの自らの言語への絶対的な自信あるいは愛着に裏打ちされた、
時として高慢、時として誇りに満ちたあのメンタリティを理解する一助になるかもしれないと考えたのだった。

Montréal

そして単純に、フランス人が口々に批判するフランセ・ケベコワ(ケベックフランス語)の響きを直に聞いてみたかった。
グルメとか観光スポットにあまり興味のない僕にとって、異国の言語の響きにその国のイメージを重ねることはささやかな趣味であるのだが、
果たして自分がよく知る言語でもそれができるのだろうか。

もうひとつ、この旅の目的を付け加えると、
フランス留学時代の友人がモントリオールに引っ越したとのことで、その友人を訪ねるというもの。
フランス人から直接にこのケベック文化、フランス文化とは似て非なる文化について話ができるだろう。
似て非なる、というのは完全にぼくの主観で、もしかしたらそもそも似てもいないのかもしれない。
そんなことも、自分の身を現地に置かなければ分からないというもの。

Montréal

さらに、もうひとつ。ささやかながらの目的として、グレイハウンドバスに乗ることもあった。
人生で最も愛したゲームであるMOTHER2の序盤は、アメリカをモチーフとした街が舞台であるが、
そこに登場するのが「グレイハンド・バス」というバスなのだ。
当時は何とも思わなかったけれども、長距離移動をバスですることを教えてくれたのもこのゲームだった。
アメリカというとこのゲームの印象と強く結びついているために、前ポストのプレイリスト集にもいくつか楽曲が入っている。

そんなわけで、ポート・オーソリティから出発間際のグレイハウンド・バスにベーグル片手に乗り込んで、
実質上、ニューヨークとはおさらば。
欧米系の人々でギッシリの長距離バスに乗ると、自然とユーロラインズを思い出す。
あのバスでもヨーロッパをいろいろと旅したものだったけど、どうやらバスの旅が自分には合っているらしい。
なかなか共同交通機関で寝ることの叶わない欧米諸国にあって、長距離バスでは寝ることができる。
最低限の用心は必要だけど、寝て、起きて音楽聞いて、寝て、寝られなくて、普段聞かない音楽を引っ張り出して、寝ようとして、寝られなくて、ちょっと寝て、気づいたら目的地近く。
そんな旅の時間が好きらしい。学生らしいと言えば、らしい。

Montréal

Montréal

アメリカ-カナダ国境付近では、日本に縁のある美女3人と知り合えて喜んだのも束の間、
税関のカナダ人女性の言っていることがさっぱりわからない。。。
初めは英語かと思ったが、どうやらフランス語だったようで。最後のメルシーしか聞き取れんかった…。

雨降るモントリールのベッリ・ウカムのバスターミナルに着いたのは、日もとっぷりと暮れた19時。
思ったよりは寒くは無いが、道のあちらこちらが凍っている。
そして街灯の切れ間のところどころに闇ができている。
このあたり、非常にヨーロッパ的な夜の在り方。徹底的に闇を排除しようとするニューヨークとは根本的に精神性が違う。
ニューヨークのようなメガシティを、引き合いに出す方が間違っているのだが。

Montréal

それにしても。
言葉が通じるというのは、いいことだ。
バスセンターの愛想の無いお姉さんとの会話が、モントリオールでの初めての会話だったが、
それが気にならないくらい、言葉が通じることに喜びを感じていた。
確かに発音やイントネーションは違い、ややゴツゴツした印象を覚えたが、僕くらいのレベルの話者だと
細かい違いなどは返ってわからなくて無視できるので、意外と通じることに驚きもした。
(フランス語を話せる日本の友人でケベックに行ったことのある人々は口を揃えて“通じない”と言うが本当だろうか?)

通りの名前が“Rue”と書いてあるだけで、ここが外国でないような気がしてくる(いや外国だよ)。
ホテルのゲイの受付の人とはつとにスムーズに会話が弾んだが、よくよく聞くと彼はパリ出身だった。
そりゃ話も通じる。

Montréal

街並みを見る限り、「北米のパリ」というには無理があるのではないか。
『〜のパリ』は常套句なので、目くじらを立てることも無いのだが。
東京のパリ・神楽坂や、東南アジアのパリ・プノンペン(行ったこと無いけど。この旅で行こうと計画したがスケジュール的に断念)の立場が無くなってしまう。
それよりは、イメージにある「北の街」と重なった。
手すり付きのポーチ、暖色系の照明、こじんまりとした商店の配置…北方ヨーロッパ的なものを感じた(オランダまでしか行ったこと無いけど)。
というよりは、マッチ売りの少女がマッチを売っていそうな、そんな街並みだった。
幼少期に覚えた漠然とした寒い国のイマージュ。

一夜明けて快晴のモントリオールは、酷寒だった。
日差しこそ強いものの、風が冷たい。
この日の最高気温は0℃もいっていなかっただろう。

Montréal

Montréal

旧市街の石畳を抜けたところにあるスタバでカプチーノを頼んだが、これがまた非道い出来だった。
J市の喫茶店ぐらいしか、これよりひどいカプチーノを知らないぞ。
教訓は、イタリアと日本以外ではカプチーノを頼まないこと、だ。
泡を頬張りながら無料で配っている朝刊を読む。
前にいたリヨンでもそうだったけれど、無料の新聞があるというのはいいことだ。
リヨンなどでは3紙ほどあって、読み比べる楽しさもあった。
日本ではまず聞かないネ。

この日の話題は、市長だか市議がとある地域の除雪をケチってしなかったために発生した交通事故の責任追求についてだった。
世界のどこの国でも、除雪の問題は人々の心を荒ませるものだ。
なんてことをこないだまで豪雪地帯に住んでいたぼくは思うのである。
雪は恐ろしい。雪崩や除雪作業で人が亡くなることもそうだが、
あの降り注ぐ無音の圧迫が人々の心をかくも狭量に、閉鎖的にしてしまうことが恐ろしい。

Montréal

Montréal

ノートルダム大聖堂は、予想通りのものだった。
これは私見だが、ロマネスク〜ゴシックという思想上の相重なり合う変化の時期を経なくては、
大聖堂のあの荘厳にして重厚な、圧倒的かつ敬虔な空気感を生み出せないのではないか。
いきなりゴシックのスタイルだけを持って来ると、やはりどこかがらんどう(これは本来の意味での伽藍ではないか)になってしまう。
建築のスタイルに根付いた精神の重みは、それが宗教建築だといよいよ強く感じられる。

街の印象ではないが、もうひとつ興味深かったのは人との出会いである。
近代美術館で地図を見たいとたまたま声をかけてきたご婦人はケベックシティから来たとのこと。
響きにカドのあるケベック・フランス語と、よく笑い底抜けに明るい彼女の性格とが全くぴったりと合っていて、驚かされた。
ケベックのフランス語は陽気さ、鷹揚さ、泰然さと相性がいいように思われる。
本国のフランス人たちがラテン語系の陽気さにイタリア人たちと比べて欠けるように思われるのは、
ひとつには言語のこの無粋なまでの荒々しさを優雅なボソボソ声に転化したことが挙げられるのではないか。
言語は人を規定する。ゴツゴツとしたケベックのフランス語はあの教授が言っていたように、ある意味ではフランス語の本質を今も保存しているのかもしれない。
ぼくは、優美で時にハナにつくフランス本国のフランス語も、ピュアな肉声という印象を聞く者に与えるケベックのフランス語も、
どちらも好きだと思った。

Montréal

夜は3年ぶりにAと再会。
典型的な(失礼)フランス人女性といった彼女だが、会わないうちに素敵な彼氏と出会い、住居をフランスからモントリオールへと移した。
お互いあまり変わっていないことに安堵しつつ、この街での暮らしについてアレコレ話す。
予想に反して、いつもの元気な彼女の姿はなく、やや新しい暮らしに馴染むのに手間取ったとのこと。
いくら母国語が通じるとはいっても、誰だって違う国に暮らすことは容易なことじゃない。
彼女の場合は、手を取り合って助けある恋人がいたからよかった。

それでもこの地方の冬の名物料理である大ボリュームの“Poutine”をぺろりと平らげる姿には、
アクティブでグルマンドな彼女の変わらぬ元気があり、相変わらずの押しの強さと明るさはそのままだった。
彼女の仲のよい日本人の女友達と、もしかしたら僕が教えたのかもしれない日本人的なルール
(日本人が「そろそろ帰るね…」と言ったらそれは本当に帰る時なのだ)ということもちゃんと心得ている辺り、
近いうちに日本に来て美味しいものをいっぱい食べに来たらいいのに、と思う。
フランスで出会い、カナダで再会したのだから、次は日本で会うのが自然な流れだろう。
忍耐強くこちらの下手なフランス語につきあってくれる彼氏のDもまたナイスガイで、
揃って日本に来てくれたらそれはそれは嬉しい。

引っ越したてのまだ荷解きもしていない部屋で、暖かく迎え入れてくれた2人に感謝。
社交ダンスの素養のある友人の指導のもと、2人手を取り合ってぎこちなく踊る姿は微笑ましく、また羨ましくもあった。


また、世界のどこかで。

Montréal

正味一日の短い滞在。
街を知るには短すぎたけれど、人との出会いが街の記憶を素晴らしいものにする。
それは、どんな国、どんな街にいっても同じこと。
セ・ラ・ヴィ。


モントリオール・フォトスライドショー



from NY to MONTREAL playlist

たっぷりと歩いたニューヨークの街から旅は続き。

モントリオールへ向かうバスの中で聞いた、聞きたかった、あるいは聞いたような気がしたプレイリストから。

鈴木慶一、田中宏和 “ウィンターズのテーマ”
Yann Tiersen “J'y suis jamais allé”
YUKI “笑い飛ばせ”
Bande annonce de “La grande séduction”







映像がいけてない…


ケベックというと、いつも心にあるこの映画。モントリオールとは全く違うのだろうが。


Montréal
トラベルストーリー(そんなもの書くのか?)は次回


2012/03/26

ニューヨークの旅 編



全く、ニューヨークという土地に興味が無かった。
アメリカそのものに対しては、少年時代にどっぷりと浸かった釣り文化発祥の国ということもあり、憧れはあったものの、
ビッグバスがウェイ・インされる会場やその名が示す通りフロリダバスの住処が大都会ニューヨークということは無く、
雑誌に紹介される米国文化は子供心にも大味すぎるものに感じられ、行きたいと思わせる動機は起らないでいた。

NY

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常々、自分の物心について思い返すと、つくづくその成長は遅かったのだと感じられる。
世界のことにあまり興味が無かったし、世の中がどう動いているのかについて無頓着な思春期だったとおもう。
政治や経済にも興味がなく、かといって文学に耽溺するほど自分の中に世界も無く、茫漠とした日々を送っていた。
世界との不和に悩んで膝を抱えるようなことは一度も無かったし(友人知人にはティーンエイジャーの時に自己とは何かと悩むような自我の芽生えを切に体感した人が少なからず、いる。それで哲学書を開くような人たちが、つまりは僕の大学の同窓ということになるのだが)、
大人の理不尽に拳を握りしめることなんかも無かった。
ただ言われたことを受け入れ、しなければならないとされたことをしながら、受験のシステムは辛いなぁと思うことが精一杯の社会との関わり方だったようにおもう。

NY

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そんなことを客観的に思えるようになったのは、高校1年生のとき、あの9月11日があったからだ。
あの朝、テレビの中では大きなビルに飛行機が突っ込む映像が繰り返し流されていた。
そんなショッキングな映像を何度も目にしても、救いが無いくらい僕は鈍感だったのを覚えている。
まったく現実感をもって見られず、かといってそれは受け容れたくないから現実感を持たないようにする防衛的な態度ではなく、
ただ単に、世界のどこかで起きている事件の中で、今朝はショッキングな映像付きのものが流されているなぁ、
そのくらいの認識でしかなかった。

NY

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あのテロが起った理由も、舞台がニューヨークという街だった意味も、マンハッタンの摩天楼が象徴するものも、アメリカという国そのものについても何も知らないでいた。
翌日、高校の朝のホームルームから周りのみんなが大騒ぎをしているのを見て、初めて事態の深刻さを感じたのだった。
それでもどこか新聞紙面の中だけ、ブラウン管の中だけのことのように感じていた。

NY

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大学に進み、ひょんなことからフランス語に興味を覚えてからは、つとに英語圏文化、アメリカ大陸への関心が少なくなった。
「よき」フランス語学習者は英語なんて嫌いで当たり前なのだという、旧時代の慣習?あるいはフランスかぶれな考え方に
見事に染まった僕は、そもそも苦手だった英語への逆恨みもあり、日本版世界地図の東側へ視線を注ぐことは無かった。

結局、ヨーロッパ言語への興味・関心、ラテン語オリジンのスペイン語・イタリア語への関心と、
そこから端を発するラテンアメリカ文学への嗜好を経て、南からアメリカという国へ至りつくことになった。
折しも、Rapha四列島のプロジェクトで僕が乗るバイクはハンドメード・イン・アメリカのindependent fabricationという縁もあり、
ようやく東海岸と西海岸の街の名前を少しずつ覚え始めたのだった。

NY

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友人に誘われることがなければなかなか行くことはなかったであろうアメリカ屈指の、世界屈指の、都ニューヨーク。
未だ上海を見れてはいないが、東京・パリ・ロンドン・ベルリンとユーラシア大陸の首都との違いにも興味があった。
ガイドブックの観光があまり好きではない性分から、気ままに歩いた6日間。

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そこには美術館の名前にもあるとおり、コスモポリタンな都があり、人々の生活があった。
日本がヨーロッパへの憧れを抱きつつも、真にずっと追いかけていたものはこの生活だったのだと思わされた。
それはスターバックスのカップを片手にオフィスに入っていくライフスタイルなのではなく、
モダンの肯定の上に、ポストモダンなどと謳うような欺瞞に気づきながら気づかないフリをしていく行き方。
あれだけの人間・人種が表面上の完璧な穏やかさを持って共存していること。
ただ一人の人間として存在できる気ままさは、東京はもちろん、パリでも感じられない空気。
遠目に見る摩天楼の概観とは異なり、非常に精神的にフラットな街だという印象をもった。
同時に、ぼくがせいぜいロンプラを見ながら歩くような地域は、人々の仮暮らしがあるばかりで、
匂い立ってくるような生活の場面には出会えずじまいだった。
匂い、闇、ゴミの排された街。

NY

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グラウンド・ゼロの側も通った。
あるのは目の前の再建中の建物ではなく、僕たちの「今」までもを規定してしまった歴史の決定的な、でも目に見えない事実の、陽炎のようなゆらめき。
高校時代のあの自我と言うものをそれとなく意識し始めた瞬間と、自我なんてものをポジティブに探そうともしなくなったこの現在までの短いが連続する時間が、あたかもロウソクの気まぐれな炎の光輝のようにゆらめいたのかもしれない。

NY

NY

なんにせよ、大量にコーヒーを飲み、大量にジャンク・フードを食べる毎日は愉快だった。
見知らぬ街が少しずつ自分の範囲となっていくあの愉悦を、ひさびさに味わい、またよく歩いてシャッターを切った。

またいつか来よう。

ぜんぜん旅行記になってないや!セ・ラ・ヴィ。


ニューヨーク・フォトスライドショー