2011/09/13

それでは自転車で旅しよう、四国を 第2日




四国自転車の旅、Day 2の最大の目的はさぬきうどん。
香川に来てうどんを食べないということは、新潟にいて酒を飲まないこと、リヨンにいてクネルを食べないことと同じくらいの罪状告白である。
そもそもぼくは麺類が大好きな人間で、麺類が主食なのだ。
米どころ新潟に住んではいても、あまり積極的にお米を食べないので、よく人に「新潟はお米が美味しいでしょう」と言われてもええ、まぁと濁すことが多い。
確かに悪くはないが…。

と思っていたのだけれど、この旅の最中にいかに新潟の米が美味いかと思い知る出来事にもぶつかるのだが、それはまだこの時点から3日後の話である。

そんなわけでうどん。
いまぼくの住む町には、なぜか本格さぬきうどん屋があり、ここが味・サービス・接客ともにこの街で唯一と言っていいほど出したお金に見合う飲食店で、折を見ては友人によく連れて行ってもらっている。
このお店に香川観光協会だかが発行しているさぬきうどんの大きなポスターがあり、それを見るたびに当地で食べたい気持ちが募っていったのだった。
それと、さぬきうどんがブームになってからか、なにかの雑誌で「完全セルフ」なうどん屋があるというのにも心を惹かれた。
自分でうどんをちゃっと茹でて、だし汁をかけて頂くのだという。それで値段が200円だとかその記事には書いてあった。
ぜひ一度、そんなうどんをお腹いっぱいに食べてみたいと思っていたのだ。

思いがけず快適だった健康ランド。
目覚めたらすでに8時。昨日は60km強しか走っていないため、体の疲労は感じない。
風邪っぽいのだけが気がかりである…。

さて、今日は高松から一路、丸亀方面、多度津の駅を目指す。今日はゆったりうどんday。
焦らず行きたいが、空腹はごまかせない。
朝食を求めて走り始める。

国道沿いをしばらく走るが、なんだかいい塩梅のお店がない。
うどん屋の数は確かに多いのだが、国道沿いにはファミリーうどん屋のような小綺麗なお店が多く、
いまひとつそそられない。
後で知る所によると、上述のセルフ式のうどん屋などはややひっそりとした場所に多いとのこと。
土地勘がないと偶然突き当たるのは難しそうだ。


ぜよ!


なんだかんだで何件もうどん屋をスルーしてしまい、いい加減お腹の虫も鳴きっぱなしなので次にあったうどん屋に入ることにする。
製麺工場を道路向かいに挟む「直営店」的なお店でようやく朝食。
メニューを見ると、魅力的なうどんがいっぱい。そしてやっぱり値段が安い。
香川ではファーストフードチェーン店は苦労しているのではないか。
同じ値段でアメリカの合理的でインダストリアルな食品を摂るよりは、
よっぽどこのつやつやときらめくうどんの方が体には良さそうだ。食後の気分もだいぶ違いそうだ。
そして出てきたぶっかけうどん。
コシが強く、なめらかな舌触りとのどどし。これが讃岐うどん…!
擦ったショウガが入っているのが、ぴりりときいていて暑い季節にぴったり。
期待を裏切られることの無いうどん体験。


ようやくありついた、当地のさぬきうどん!


再び丸亀方面へ自転車を走らせる。
よくよく感じるのはうどん屋さんの多さ。
だんだん違和感が無くなってはきたものの、
「セルフ」と書いてあってもここではうどん屋であって、ガソリンスタンドがむしろセルフであることが不思議な気持ちがしてくる。

さぬきのふしぎ。


どっちやねん




このセルフはうどんやさん


どんな業務のための建物なのでしょう?




いま、まさにぼくは四国を走っている。
ちょっと四国を一周してくると人に言えば、半分くらいの人はお遍路にいくの?と聞くと思う。
今回はうどんとアカメが旅の目的であり、お遍路とは距離があったのだが、八十八カ所もあるとあっては、
自転車で走っているとそこかしこに案内の看板が出ているのに行き当たる。
ちらほらお遍路スタイルで歩いている人も見かけた。
せっかくなので、至近のお寺に寄ってみよう。
天皇寺という大層な名前をいただいたここは79番目の霊場に指定されている。
しばし、お遍路をめぐる旅人の気持ちに思い至る。
つくづく旅の仕方は人次第。

よく友達や恋人と旅に出るとその人の本性がわかる、という言うけれどまさにその通りだと思う。
好きな食べ物とか、趣味とかは一緒じゃなくてもいいと思うが(大事だとは思うけれど)、旅先でお互い自然にいられる関係というのは非常にいいものだと思う。
ぼくはすっかり一人旅が好きになってしまったけれど、ときおり何でもない風景や瞬間が、
友人や恋人と共有できないことがすごく残念に思えることがある。
でもそうしたものは、自分が一人でその場所にいるからこそ感じることができたのかもしれなく、
もし自分に写真や文章の才があればこれを大切な人たちに伝えることができるのだろうかと勘ぐることもしばしば。
自分が見知らぬ土地の、その場所に存在したということ自体を誰かに伝えたいのかもしれない。

いつかはお遍路に出ることもあるのだろうか。








しばし物思いにふける…


**

シャッター・アーケード。
おそらく日本中にこのような光景が散在していることと思う。
埼玉の新興住宅地で育った僕は、「かそ」という言葉を社会の教科書の中で、どこか可笑しみをもって捉えていたが、
2年半前に上越にやってきてからは絶望的なまでのシャッターの沈黙と倦怠を直接に知って、何も言えなくなってしまった。
このアーケードにたくさんの人がひしめきあっていた時期を思う。
現在の大規模な郊外型ショッピングモールもまた、いつかは廃れ、閑散と哀愁に浸るときが来るのだろうか…。
来るとしたら、それはいつになるのか。
大量購入・大量消費のメソッドの寿命は、以外と短いのではないかという気がしている。
そして今の子どもが、この日の僕のようにゴースト化したショッピングモールに空想の切なさを覚え、そして言うのだ。
「いつかはネットショッピングが廃れる日が来るのかな」
と。

人間はどこに行こうとしているのか。









相変わらず照りつける太陽の下、丸亀を経由して多度津へ。
ずっと「まるかめ」だと思っていたけれど、「まるがめ」だそうで。
高台にある丸亀城が町の中心に浮かんで見えるさまは、いつだっだか見たベルガモの街を思い出させた。

もう一杯、うどんをすすることにした。
地元の車がどんどん吸い込まれていくうどん屋さん。
セルフで、レジは若いおねーさんがうってくれた。
悪くはないが、少々粉っぽさを感じさせるうどん。やはりうどんと一口に言えど、様々である。


ウェアはRapha メリノVネックベースレイヤー&ジレ&ツーリングショーツ&メリノボクサー


丸亀城の恋、もとい鯉


うどん2杯目


多度津の駅に着き、一旦自転車を畳む。
高知まで一気に電車で下ってしまう算段だ。まるっと四国一周をしたいのもやまやまだが、今回の目的はあくまでうどんとアカメ。
徳島の地に轍を残せないのは残念だが、フランスで出会った朗らかな阿波っ子を訪ねて阿波踊りを見に行くいつかの機会にそれは譲ろう。
彼女の奔放さの源を、本国徳島ではなしに四国他県でも見つけることはできるだろうか。
僕のしる四国の人はたいてい、ほがらかでおおらかで、魅力のある人たち。
四国と括ること自体が高圧的な視点であるようにも思え反省するしかないのだが、瀬戸内海が隔て、あの陽光に照らされし四国には何か、人を華やがせる何かがあるのではないだろうか。


多度津ステエション


南風にのってあなたのところまで




そんなこんなで、パタパタと輪行を終え、13:48発の特急「南風」で一路、高知は中村を目指す。
それにしてもこの特急電車、名前がいい。南風。
僕自身、名前に風が入るからかもしれないが、吹き抜けていくような爽快感ある風という字はいいものだ。
北風と並べてみた時の、南風の優しさといったらどうだろう。
風に運ばれて、南へとゆく。南風。いい名前だと思う。
でも子どもにはつけられないかな。南風と書いて、「なう」ツイッターみたいだ。

特急列車という概念。長距離移動列車なのだから、少なくとも8両はあると思っていた。
自転車が邪魔になるからと、駅のホームの端っこに立っていたら、やってきた南風は3両だった。
自由席は1.5両分という。0.5とは…数は無限に分割できるという数学の原理をここで知る。

慣れない土地を走ったからか、太陽がまぶしかったからか、煩っていた風邪のせいか、電車にのるとたちまちに意識を失ってしまった。気づけば、日はもう傾いていた。

辛うじて記憶にあるのは、長瀞を思い出させる渓谷が、「オオボケ・コボケ」と呼ばれていたこと。
よくよく字を見てみると、「大歩危・小歩危」ぶっそうな字義であった。
残念ながらこの旅の徳島の記憶はこの瞬間のみであった。


オオボケ


こういう光景が、たまらなく世界を美しく感じさせる






夕方17時すぎに、中村に到着。
駅前の子どもの銅像が水につかった鮎のやはり銅像を追いかけているという、ここは四万十川の玄関口。
うっすらと暗くなりかけているが、まだ日没までは時間がありそうだ。駅前の地図とiphoneをたよりに、
まずは四万十川を見に行くことにした。

川縁に出るまでに、幹線道路の大きな交差点の信号に引っかかった。
道路の向こうには下校途中の女子中学生が数人、ヘルメット姿で自転車にまたがり信号が変わるのを待っている。
その向こうの土手の向こう側にはあの四万十川があるのである。
ぼくは彼女たちがうらやましくてしようがなかった。幼いうちから四万十の流れとともに生きているのだから。
だが旅人の羨望は、住人にとっては一笑に付されることしばしば。
彼女たちにとっては、四万十川などありふれた風景なのだ。
ぼくが彼女たちぐらいの頃に名前を知り、憧れ続けた四万十川は、近所の川なのだ。
羨ましいという感情は得てして利己的なものだと思い至る。
事実は、いま、ぼくが四万十川の近くまできたこと。それにドキドキしていればよい。
ただ、彼女たちが大きくなり都市に出て行ってしまったとしても、四万十川は流れ続けているだろうし、
いつか帰ってきたときに、しみじみと大河の流れに故郷を感じることがあってほしいと利己的なロマンチストのこころで思ってみた。










土手を登って見た四万十川は、夕日に金色に染められて雄大だった。
大きくて、ゆったりとしていて、何ももう言うこともなく、ただ、ここにいることの必然を感じていた。
なぜか、「しまんと」という言葉の響きがこれ以上無く、目の前の河に似合っているなと思った。

四万十大橋の欄干の始まりには、アカメの石像が。その瞳は当然、紅い。
しみじみと四万十川に来たことをかみしめる。
雲は夏と秋の両方の顔をしていた。


アカメ(の像)


アカメ(と私の自転車)


四万十川を背負う男


それにしてもあまりに惚けていたためか、思っていた以上に河を下ってきてしまった。
太陽はもう沈みかかっている。
河の余韻に浸る間もなく、駅まで戻るべくペダルを踏む。真っ暗は嫌だぜ。
ゆっくりとはいえ朝から走ってきたために、この時間帯で荷物をしょっての30km/hの巡航が果てしなく辛かった…。

この日はドミトリーの安宿。
なんてことはない宿だが、ばっちりカファール(Gがつく虫のこと。仏語)が出てきてくれて、戦慄。
まぁ南国だから仕方が無い。
実はこの数週間前には自宅アパートでカファールとは激闘を繰り広げていたので、多少の耐性はついている。

ご飯はラーメンというのもそっけないので、町を見がてらスーパーに買い出しにいく。
美味しそうな鰻屋があったりしたのだが、さすがにこの身でウナギは不相応。
その土地を知りたいならまずはスーパーマーケットへ行け、とレヴィ・ストロース先生ならまず言わなかったであろう、独自の文化人類学に則ってスーパーへ行くことにしたのだった。

さすがは高知、カツオがパックに入って売っている。今朝食べた讃岐うどんは、ここ高知でも売られている。
新潟でも埼玉でも売られていたか。ふむ。


土佐と言えばカツオ


四国と言えばさぬきうどん


コレが美味しかった!ミレービスケット


適当な食事と安酒を買い込み、宿に戻って食す。暑さと蚊でなかなか寝付けないが、自分がこんなところにいる不思議をあらためて面白く思っていたら、いつの間にか寝ていた。
2日目の夜は、中村の町で更けていく。

40kmほどの予定が、この日は65kmほどを走った。距離以上に疲れを覚えるのはまだ旅のリズムをつかめていないためだろう。

2 件のコメント:

  1. ミレービスケット、美味しいよねぇ!あと、袋ラーメンのうまかっちゃんを知ったのも四国でした。お遍路した学生時代を思い出したよ〜(高知までだけど)。

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  2. yukikazeさん

    やはりミレービス、有名なのですね!あの美味しさは売れているはずだと思ってました。うまかっちゃんはトライできず。。
    あぁ、お遍路をすでにされていたとは!うむむ、さすがっす!

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