2009/01/29

ここは一体何平洋よ?

卒論の試問をひかえて今一度要点をまとめ中…だが自分の要点がよくわからなくなってきた…。
論文と言うより、エッセイになっているしなぁ。


・写真が絵画史に及ぼした影響よりも絵画が写真に及ぼした影響の方が大きい。
・写真はその客観性故に、社会的な方向を選び、絵画は主観的な芸術へと進んだ。
・このことは写真の登場が客観性を保証することから起こってきたと考えるのは早計。
・もとより、この客観性は19世紀フランス社会(西欧近代一般)の要請であったこと。
・それには新興ブルジョアジーの台頭があり、自らを客観視する肖像画の需要が高まり、
その延長線上に肖像写真が存在したということ。
・この客観性の前提が写真を芸術とみなすことに障害となった。
・なぜなら絶対的な客観は芸術になりえないから。
・写真は芸術であろうとして絵画的な美学を継承するしか考えがなかった。
・写真の客観性は絵画の写実性の追求のひとつの極点としてその試みの中に収斂される。
・ブルジョワの「個性の追求」は(肖像写真の交換を経て)個人的な視野・視覚というものを希求するようになる。「個人」の概念の誕生の時期。
・それに応えるか、おそらくはその個人の最も速い萌芽として個人の主観的な絵画が誕生。
・セザンヌの静物画。
・こうした社会の近くの変化が絵画の流派の激烈な変遷へつながってゆく。
・写真はこうした試みの中から絵画の自己否定を見出し、そして絵画的美学を取り込むことをあきらめるようになる。
・では写真の写真としての立ち位置はどうなるのか?→ストレートフォトグラフィ
・客観性に写真のよりどころをみるが、それは主観に支えられた客観。
・マン・レイの主観と客観の侵犯。2次元と3次元の侵犯。
・3次元空間がそのまま写るという写真の前提(これはつまりルネサンス的な遠近法絵画の前提の継承であった)を破壊するマン・レイの写真。
・写真ははじめて絵画の呪縛から解き放たれる。

が、それで写真がどうあれば純粋に芸術として定律するのか、まで言及できなかった。。
マン・レイの仕事が写真の可能性を初めて引き出した、で論が終っているからなぁ。
でもそれを考えるにはもう少し後の時代の写真家を調べないといかん気もする。

あー論文になっていない。
まとまらないまとまらない。


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