2011/12/31

ひと月いち枚で振り返る2011

illumination
1月。
課外授業で都内の美術館散策に行くことになり、上京。
帰りの夜行バスまであまった時間に、ふらふらとぼくの青春の大部分を置いてきたような母校へ。
よくも悪くも、ぼくの時間はここで止まっていて、なかなか前に進めていないと思ったり。
東京の冬は、でも好き。

mariage
2月。
友人の結婚式の撮影をしたり、シクロクロスに出たり、友人たちと能登半島をぶらりと旅したり。
なかなか充実した月だったようにおもう。
カテ2の走り方に悩んだ時期だった。


3月。
四列島のために前日入りした千葉で大震災に遭った。
夜の間ずっと停電、なにも情報が分からない中、啓兄とビンちゃんがいてくれたことに救われた。
そして帰宅してからの日々。
家族の大切さを計画停電中の暗がりの中、揺れるろうそくの灯を噛み締めた。
Rapha rides for Tohokuでは、尊敬できる自転車仲間が一体となって行動に出た。
このひと月が、僕の将来を変えたのは間違いない。
すべての日本人がそうであったように、ぼくもまた内面の変化を驚くほどに経験した。


Rapha Cycle Club Tokyo
4月。
3月にヒザを壊してしまい、まともに自転車に乗ることができなくなってしまった。
自転車生活で最大の危機。ただ、辛かった。
Rapha cycle club Tokyo、オープン。
修行を積む。

le 7 mai 2011
5月。
教育実習で中学校へ。
写真の授業をやらせてもらった。
自分が今まで大事にしていたものだからこそ伝えたいが、だからそこ伝えるのが難しいことを実感。
実習を担当して頂いた先生は、素晴らしい先生だった。
小学校の時といい、尊敬できる方との巡り合わせに感謝。
そして自分の未熟さを痛感。

poursuivant
6月。
全日本選手権のテキストライブをしに岩手へ。
フミさんの勝利を間近で見ることができた。
有言実行の勝利に、ほんとにシビれた。
5年前にペーペーだったぼく(今もだ)に気さくに声をかけてくれた、日本のトップレーサーはただかっこいいの一言。
ぼくはもうその頃のフミさんの年齢を越えてしまったけれど、器の大きさでは到底かなわない。
さらなる高みへ。勇気をもらった。
あと、徐々に少なくなるであろう啓兄と一緒に仕事をする機会ということもあり、その意味でも大事なレースだった。

coffee bean joy
7月。
ツールと、cycle clubが終わった。
濃密な時間を過ごせ、そして自分の至らなさを何度も噛み締めた。
ツールは、人間讃歌。ぼくがツールを観始めてから、ベストに入るレースだったと思う。

Bamian of Joetsu
8月。
父と山へ登ったり、釣りをしたり。
相変わらずヒザは具合が悪く、自転車には乗れない日々。
いろいろと身軽になってしまったので、風の吹くままどこへでも、な気分。

september 2011
9月。
ようやくヒザがなおってきたのと、自転車旅を学生最後にしたかったので四国一周を企てた。
よく走り、よく食べ、よく見て、よく撮ったいい旅立った。
また自転車で旅したいな。
やっぱり旅は人生において重要なものなのだ。
四国の陽光のまぶしさは忘れられない。青春だぜ。


10月。
Rapha四列島ライドと北陸シクロクロス。
富山の素晴らしいロケーションを満喫(原稿書かな…)
チームメイトが優勝したりと嬉しい時間。


11月。
野辺山シクロクロス。
来てくださった方々には喜んで頂けた一方で、改善点がたくさんあったのも事実。
多くのことを学びました。そして自分にできることの少なさも。
来年は確実によりよい方向へ持っていきます。
この大会のことをずっと考えている。
(photo by Kei Tsuji)

december 2011
12月。
論文漬けの日々。
毎日同じことの繰り返しで不健康な生活リズムに突入。
当然自転車に乗る時間は取れなかったけれど、通学の10分強の雪道シクロクロスが慰めてくれた。
論文は、全てを出し切れたとは思っていないけれど、ひとついままでのことを清算できたので2011年の締めには良いことだった。
郷里の友人との酒は楽しすぎて、迷惑をかけてしまった。。
大人な飲み方も覚えないと。

総じて起伏の激しい年だった2011年。
毎年思うのは、つくづく多くの人に支えられて生きているということです。
直接お世話になったみなさん、心の中で勝手に支えにさせてもらっている方々、全ての出会いに感謝しつつ、
ぼくにとって転換点となる2012年を始めたいと思います。
たくさんの人にもらった親切を、少しでも人に渡せるように。

よいお年を。

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