2009/01/14

哲学の終わり

いやぁ、相対性理論、イイ。
絶妙のゆるさ。

せんせぇー 知らないこと 知りたいのー
おしえてー おしえてー

こーうかん留学生ー
しゅーうだん下校ちゅうー



そして足掛け5年も学んできた哲学も今日でひとくぎりとなりました。
実際に勉強として哲学をはじめたのは3年生からだったから(おそっ)、
まぁ学んだのは3年間くらいだけれども。

最後は、ソクラテスが道徳においては何も卓越したところはない、という過激な議論と、
言葉というものはこれまでに言い表されなかったものを言い表すためにある、
という示唆に富んだ結論で幕。

言葉の問題はこれからもずっと考えていきたい。
どうして思っていることがうまく言葉にならないのか。言葉にすることは可能なのか。
言葉はいつも頼りない、と切り捨てる態度は安易だが、はたしてそれでいいのだろうか?

身近にはそういう問題意識を持ち続けることができると思うけれど、
もっと大枠で僕が哲学から学んだことはなんだろうと考えてみる。

すぐには言葉にできないけれど、それをなんとか言葉にすることが、
3年間の哲学からの最初の宿題みたい。

入学前から、入学後も、いろんな人に言われた。

「哲学なんてやって何になるの?」
「就職できないよ〜」
「変わってるね」

これまでは自嘲も混めてへらへらと笑ってごまかしていたが、
そういうことを言ってくる人と、真面目に話をするほうが疲れる。
哲学なんて知らなくても生きて行けるし、知っても得なことなんてほとんどないけど、
こうゆう一元的な物言いには、もう迎合しない。

哲学を背骨に、何ができるのか、それを示すのがこれからの僕の5年間になるだろう。
どう料理していくかは、自分次第ってことさね。


生きてる限りフィロゾフィは続いてく




ぜんぜん関係ないんだが、風呂に入りながら、
街と個人の関係は、大学2年生の冬休みの片思いに似ている、と思った。
両思いにしたくて写真家は都市を撮るのだ、と。

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