北米の都市では一番に行きたかった街である。
それというのも、ケベック州はフランス語圏だから。
今でも思い出せる、大学時代のフランス人の先生がいつか言っていたことが、長らく僕の心に残っていた。
『フランス人はケベックのフランス語を汚いだとか、粗野だとか言いますが、外来語と移入文化にまみれて変化著しいフランス語のそれより、ケベックには純粋なフランス語が、かつてフランスで話されていた言葉が残されているのです。』
曲がりなりにもフランスに住み、ツール・ド・フランスを頂点とするフランスの文化に浸かろうとした身としては、
まずフランスを自身に近づけるのに必要な窓がフランス語だった。
とはいえ、短い留学とツールの取材を終えて帰国した後、日本海のひっそりとしたした雪国に居を定めてからというもの、
この言語に触れる機会は激減し、またはじめこそ触れる努力をしていたものの、次第に諦めにも似た自分への説得をしては、
この言葉を使わなくなったことを正当化していた。
そんなわけで、ほとんど使わなくなったとはいえ、英語が話せない僕にとっては世界を覗く窓はフランス語しかなく、
また、同じ言語が世界の違う大陸で話されているという点にも非常に興味を覚え、いつかは行ってみたいのがケベック州だったのだ。
このあたりの感覚は、日本という一カ国だけ(しかも島国!)で使われている言語の話者としてはなかなか掴みづらいもので、
“まず海外では日本語は通じない”というスタンスをとらざるをえない僕らを、相対化できるのではないかと期待してみた。
そして、文化植民の歴史だとしても、世界で通じる言語を持つフランス人の、あの自らの言語への絶対的な自信あるいは愛着に裏打ちされた、
時として高慢、時として誇りに満ちたあのメンタリティを理解する一助になるかもしれないと考えたのだった。
そして単純に、フランス人が口々に批判するフランセ・ケベコワ(ケベックフランス語)の響きを直に聞いてみたかった。
グルメとか観光スポットにあまり興味のない僕にとって、異国の言語の響きにその国のイメージを重ねることはささやかな趣味であるのだが、
果たして自分がよく知る言語でもそれができるのだろうか。
もうひとつ、この旅の目的を付け加えると、
フランス留学時代の友人がモントリオールに引っ越したとのことで、その友人を訪ねるというもの。
フランス人から直接にこのケベック文化、フランス文化とは似て非なる文化について話ができるだろう。
似て非なる、というのは完全にぼくの主観で、もしかしたらそもそも似てもいないのかもしれない。
そんなことも、自分の身を現地に置かなければ分からないというもの。
さらに、もうひとつ。ささやかながらの目的として、グレイハウンドバスに乗ることもあった。
人生で最も愛したゲームであるMOTHER2の序盤は、アメリカをモチーフとした街が舞台であるが、
そこに登場するのが「グレイハンド・バス」というバスなのだ。
当時は何とも思わなかったけれども、長距離移動をバスですることを教えてくれたのもこのゲームだった。
アメリカというとこのゲームの印象と強く結びついているために、前ポストのプレイリスト集にもいくつか楽曲が入っている。
そんなわけで、ポート・オーソリティから出発間際のグレイハウンド・バスにベーグル片手に乗り込んで、
実質上、ニューヨークとはおさらば。
欧米系の人々でギッシリの長距離バスに乗ると、自然とユーロラインズを思い出す。
あのバスでもヨーロッパをいろいろと旅したものだったけど、どうやらバスの旅が自分には合っているらしい。
なかなか共同交通機関で寝ることの叶わない欧米諸国にあって、長距離バスでは寝ることができる。
最低限の用心は必要だけど、寝て、起きて音楽聞いて、寝て、寝られなくて、普段聞かない音楽を引っ張り出して、寝ようとして、寝られなくて、ちょっと寝て、気づいたら目的地近く。
そんな旅の時間が好きらしい。学生らしいと言えば、らしい。
アメリカ-カナダ国境付近では、日本に縁のある美女3人と知り合えて喜んだのも束の間、
税関のカナダ人女性の言っていることがさっぱりわからない。。。
初めは英語かと思ったが、どうやらフランス語だったようで。最後のメルシーしか聞き取れんかった…。
雨降るモントリールのベッリ・ウカムのバスターミナルに着いたのは、日もとっぷりと暮れた19時。
思ったよりは寒くは無いが、道のあちらこちらが凍っている。
そして街灯の切れ間のところどころに闇ができている。
このあたり、非常にヨーロッパ的な夜の在り方。徹底的に闇を排除しようとするニューヨークとは根本的に精神性が違う。
ニューヨークのようなメガシティを、引き合いに出す方が間違っているのだが。
それにしても。
言葉が通じるというのは、いいことだ。
バスセンターの愛想の無いお姉さんとの会話が、モントリオールでの初めての会話だったが、
それが気にならないくらい、言葉が通じることに喜びを感じていた。
確かに発音やイントネーションは違い、ややゴツゴツした印象を覚えたが、僕くらいのレベルの話者だと
細かい違いなどは返ってわからなくて無視できるので、意外と通じることに驚きもした。
(フランス語を話せる日本の友人でケベックに行ったことのある人々は口を揃えて“通じない”と言うが本当だろうか?)
通りの名前が“Rue”と書いてあるだけで、ここが外国でないような気がしてくる(いや外国だよ)。
ホテルのゲイの受付の人とはつとにスムーズに会話が弾んだが、よくよく聞くと彼はパリ出身だった。
そりゃ話も通じる。
街並みを見る限り、「北米のパリ」というには無理があるのではないか。
『〜のパリ』は常套句なので、目くじらを立てることも無いのだが。
東京のパリ・神楽坂や、東南アジアのパリ・プノンペン(行ったこと無いけど。この旅で行こうと計画したがスケジュール的に断念)の立場が無くなってしまう。
それよりは、イメージにある「北の街」と重なった。
手すり付きのポーチ、暖色系の照明、こじんまりとした商店の配置…北方ヨーロッパ的なものを感じた(オランダまでしか行ったこと無いけど)。
というよりは、マッチ売りの少女がマッチを売っていそうな、そんな街並みだった。
幼少期に覚えた漠然とした寒い国のイマージュ。
一夜明けて快晴のモントリオールは、酷寒だった。
日差しこそ強いものの、風が冷たい。
この日の最高気温は0℃もいっていなかっただろう。
旧市街の石畳を抜けたところにあるスタバでカプチーノを頼んだが、これがまた非道い出来だった。
J市の喫茶店ぐらいしか、これよりひどいカプチーノを知らないぞ。
教訓は、イタリアと日本以外ではカプチーノを頼まないこと、だ。
泡を頬張りながら無料で配っている朝刊を読む。
前にいたリヨンでもそうだったけれど、無料の新聞があるというのはいいことだ。
リヨンなどでは3紙ほどあって、読み比べる楽しさもあった。
日本ではまず聞かないネ。
この日の話題は、市長だか市議がとある地域の除雪をケチってしなかったために発生した交通事故の責任追求についてだった。
世界のどこの国でも、除雪の問題は人々の心を荒ませるものだ。
なんてことをこないだまで豪雪地帯に住んでいたぼくは思うのである。
雪は恐ろしい。雪崩や除雪作業で人が亡くなることもそうだが、
あの降り注ぐ無音の圧迫が人々の心をかくも狭量に、閉鎖的にしてしまうことが恐ろしい。
ノートルダム大聖堂は、予想通りのものだった。
これは私見だが、ロマネスク〜ゴシックという思想上の相重なり合う変化の時期を経なくては、
大聖堂のあの荘厳にして重厚な、圧倒的かつ敬虔な空気感を生み出せないのではないか。
いきなりゴシックのスタイルだけを持って来ると、やはりどこかがらんどう(これは本来の意味での伽藍ではないか)になってしまう。
建築のスタイルに根付いた精神の重みは、それが宗教建築だといよいよ強く感じられる。
街の印象ではないが、もうひとつ興味深かったのは人との出会いである。
近代美術館で地図を見たいとたまたま声をかけてきたご婦人はケベックシティから来たとのこと。
響きにカドのあるケベック・フランス語と、よく笑い底抜けに明るい彼女の性格とが全くぴったりと合っていて、驚かされた。
ケベックのフランス語は陽気さ、鷹揚さ、泰然さと相性がいいように思われる。
本国のフランス人たちがラテン語系の陽気さにイタリア人たちと比べて欠けるように思われるのは、
ひとつには言語のこの無粋なまでの荒々しさを優雅なボソボソ声に転化したことが挙げられるのではないか。
言語は人を規定する。ゴツゴツとしたケベックのフランス語はあの教授が言っていたように、ある意味ではフランス語の本質を今も保存しているのかもしれない。
ぼくは、優美で時にハナにつくフランス本国のフランス語も、ピュアな肉声という印象を聞く者に与えるケベックのフランス語も、
どちらも好きだと思った。
夜は3年ぶりにAと再会。
典型的な(失礼)フランス人女性といった彼女だが、会わないうちに素敵な彼氏と出会い、住居をフランスからモントリオールへと移した。
お互いあまり変わっていないことに安堵しつつ、この街での暮らしについてアレコレ話す。
予想に反して、いつもの元気な彼女の姿はなく、やや新しい暮らしに馴染むのに手間取ったとのこと。
いくら母国語が通じるとはいっても、誰だって違う国に暮らすことは容易なことじゃない。
彼女の場合は、手を取り合って助けある恋人がいたからよかった。
それでもこの地方の冬の名物料理である大ボリュームの“Poutine”をぺろりと平らげる姿には、
アクティブでグルマンドな彼女の変わらぬ元気があり、相変わらずの押しの強さと明るさはそのままだった。
彼女の仲のよい日本人の女友達と、もしかしたら僕が教えたのかもしれない日本人的なルール
(日本人が「そろそろ帰るね…」と言ったらそれは本当に帰る時なのだ)ということもちゃんと心得ている辺り、
近いうちに日本に来て美味しいものをいっぱい食べに来たらいいのに、と思う。
フランスで出会い、カナダで再会したのだから、次は日本で会うのが自然な流れだろう。
忍耐強くこちらの下手なフランス語につきあってくれる彼氏のDもまたナイスガイで、
揃って日本に来てくれたらそれはそれは嬉しい。
引っ越したてのまだ荷解きもしていない部屋で、暖かく迎え入れてくれた2人に感謝。
社交ダンスの素養のある友人の指導のもと、2人手を取り合ってぎこちなく踊る姿は微笑ましく、また羨ましくもあった。
また、世界のどこかで。
正味一日の短い滞在。
街を知るには短すぎたけれど、人との出会いが街の記憶を素晴らしいものにする。
それは、どんな国、どんな街にいっても同じこと。
セ・ラ・ヴィ。
モントリオール・フォトスライドショー
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