全く、ニューヨークという土地に興味が無かった。
アメリカそのものに対しては、少年時代にどっぷりと浸かった釣り文化発祥の国ということもあり、憧れはあったものの、
ビッグバスがウェイ・インされる会場やその名が示す通りフロリダバスの住処が大都会ニューヨークということは無く、
雑誌に紹介される米国文化は子供心にも大味すぎるものに感じられ、行きたいと思わせる動機は起らないでいた。
常々、自分の物心について思い返すと、つくづくその成長は遅かったのだと感じられる。
世界のことにあまり興味が無かったし、世の中がどう動いているのかについて無頓着な思春期だったとおもう。
政治や経済にも興味がなく、かといって文学に耽溺するほど自分の中に世界も無く、茫漠とした日々を送っていた。
世界との不和に悩んで膝を抱えるようなことは一度も無かったし(友人知人にはティーンエイジャーの時に自己とは何かと悩むような自我の芽生えを切に体感した人が少なからず、いる。それで哲学書を開くような人たちが、つまりは僕の大学の同窓ということになるのだが)、
大人の理不尽に拳を握りしめることなんかも無かった。
ただ言われたことを受け入れ、しなければならないとされたことをしながら、受験のシステムは辛いなぁと思うことが精一杯の社会との関わり方だったようにおもう。
そんなことを客観的に思えるようになったのは、高校1年生のとき、あの9月11日があったからだ。
あの朝、テレビの中では大きなビルに飛行機が突っ込む映像が繰り返し流されていた。
そんなショッキングな映像を何度も目にしても、救いが無いくらい僕は鈍感だったのを覚えている。
まったく現実感をもって見られず、かといってそれは受け容れたくないから現実感を持たないようにする防衛的な態度ではなく、
ただ単に、世界のどこかで起きている事件の中で、今朝はショッキングな映像付きのものが流されているなぁ、
そのくらいの認識でしかなかった。
あのテロが起った理由も、舞台がニューヨークという街だった意味も、マンハッタンの摩天楼が象徴するものも、アメリカという国そのものについても何も知らないでいた。
翌日、高校の朝のホームルームから周りのみんなが大騒ぎをしているのを見て、初めて事態の深刻さを感じたのだった。
それでもどこか新聞紙面の中だけ、ブラウン管の中だけのことのように感じていた。
大学に進み、ひょんなことからフランス語に興味を覚えてからは、つとに英語圏文化、アメリカ大陸への関心が少なくなった。
「よき」フランス語学習者は英語なんて嫌いで当たり前なのだという、旧時代の慣習?あるいはフランスかぶれな考え方に
見事に染まった僕は、そもそも苦手だった英語への逆恨みもあり、日本版世界地図の東側へ視線を注ぐことは無かった。
結局、ヨーロッパ言語への興味・関心、ラテン語オリジンのスペイン語・イタリア語への関心と、
そこから端を発するラテンアメリカ文学への嗜好を経て、南からアメリカという国へ至りつくことになった。
折しも、Rapha四列島のプロジェクトで僕が乗るバイクはハンドメード・イン・アメリカのindependent fabricationという縁もあり、
ようやく東海岸と西海岸の街の名前を少しずつ覚え始めたのだった。
友人に誘われることがなければなかなか行くことはなかったであろうアメリカ屈指の、世界屈指の、都ニューヨーク。
未だ上海を見れてはいないが、東京・パリ・ロンドン・ベルリンとユーラシア大陸の首都との違いにも興味があった。
ガイドブックの観光があまり好きではない性分から、気ままに歩いた6日間。
そこには美術館の名前にもあるとおり、コスモポリタンな都があり、人々の生活があった。
日本がヨーロッパへの憧れを抱きつつも、真にずっと追いかけていたものはこの生活だったのだと思わされた。
それはスターバックスのカップを片手にオフィスに入っていくライフスタイルなのではなく、
モダンの肯定の上に、ポストモダンなどと謳うような欺瞞に気づきながら気づかないフリをしていく行き方。
あれだけの人間・人種が表面上の完璧な穏やかさを持って共存していること。
ただ一人の人間として存在できる気ままさは、東京はもちろん、パリでも感じられない空気。
遠目に見る摩天楼の概観とは異なり、非常に精神的にフラットな街だという印象をもった。
同時に、ぼくがせいぜいロンプラを見ながら歩くような地域は、人々の仮暮らしがあるばかりで、
匂い立ってくるような生活の場面には出会えずじまいだった。
匂い、闇、ゴミの排された街。
グラウンド・ゼロの側も通った。
あるのは目の前の再建中の建物ではなく、僕たちの「今」までもを規定してしまった歴史の決定的な、でも目に見えない事実の、陽炎のようなゆらめき。
高校時代のあの自我と言うものをそれとなく意識し始めた瞬間と、自我なんてものをポジティブに探そうともしなくなったこの現在までの短いが連続する時間が、あたかもロウソクの気まぐれな炎の光輝のようにゆらめいたのかもしれない。
なんにせよ、大量にコーヒーを飲み、大量にジャンク・フードを食べる毎日は愉快だった。
見知らぬ街が少しずつ自分の範囲となっていくあの愉悦を、ひさびさに味わい、またよく歩いてシャッターを切った。
またいつか来よう。
ぜんぜん旅行記になってないや!セ・ラ・ヴィ。
ニューヨーク・フォトスライドショー
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