2011/07/01

全日本選手権ロードレース2011



全日本選手権ロードレース2011 於 岩手県八幡平パノラマライン


全日本選手権に赴くのは2005年以来実に6年ぶり。あの頃はまだ10代だったのか…。
当時からいろいろ変わった気もするし、何にも変わっていない気がする。
ロードレースはいつだって別ものだけど、その本質は変わってなかった。
全日本選手権、日本一を決めるレースは、やはり日本一のワンデイレース。
ジャパンカップとは違う、観る者にまで伝わる神経の擦り減るような空気。

命のぶつかり合いという表現がさして大げさでもないレースを目の当たりにしながら、
指先だけでパチパチとやっていることに少し負い目を感じたりもするのだが。
全身で走る選手たちを全身で撮るフォトグラファーのように、
体全身で書いて伝えるライター、そうあれたらいいとキーボードを叩く度におもう。

レースの時系列展開についてはテキストライブに残してあるので、
テキストライブをしつつ撮った写真から、思いつくままに全日本選手権を振り返ってみる。


champion du Japon
別府史之(日本、レディオシャック)
勝者になったことを抜きにしても、この日の主役がフミであることは揺るぎない。
レースに臨むのにあたって、満ちた自信。
それは走る前から自己への確信とでも言えるほどに、静かにしかし重厚だった。
「勝って当たり前」と周りに言われることのプレッシャー以上に、
本人が「勝って当たり前」と思っているのではないか?と勘ぐってしまうほど。
ゴールシーンは残念ながら撮れなかったが、2006年よりも格段に厚みを増した上半身に、
ガッツポーズがよく映えていた。ある種の猛禽を思い出した。

groupe d'échapée

この日最初の、そして唯一の逃げグループ

優勝候補の佐野淳哉(ダンジェロ&アンティヌッチィ・株式会社NIPPO)がレース最序盤から動きを見せた。
シマノから阿部嵩之、愛三工業から鈴木謙一と逃げの名手がきっちり仕事をこなす。
この時はロードレース=チーム戦という図式を再確認していたのだが…

l'équipe formidable Aisan
愛三工業レーシングチーム
今大会で最も機能し、印象を残したチーム。逃げを前に行かせた後も、メイン集団が
フィニッシュラインを通過するのにほぼ全周回で愛三工業の選手が先頭を占めていた。
フミの飛び出しにはついていけなかった中島康晴だが、逃げグループを追うべく集団での仕事に尽力する。
フミも愛三工業のチーム力をレース後に讃えた。青い集団はアジアのしたたかなレースで
着実に強さを増している。

bouteille d'eau
補給
いつものチームがない環境で走るフミ。
フミを支えたスタッフもまた、重圧と責任に悩んだだろうが、フミの勝利を見るよりも先、
その積極果敢な走りに勇気づけられ、そして喜んだ。

poursuivants
誰も逃がさない
逃げグループを捕えた後、集団から飛び出しを図る反乱分子の抑え役は盛一大(愛三工業)。
平坦なステージではエース西谷泰治の発射台として西谷の後ろで両手を上げる姿が思い出される。
そのスピードを生かし、この日も西谷のために危険の芽を摘む。

Yukiya Arashiro
新城幸也
ヨーロッパ組として、そしてツール出場を目の前にして、やはり注目度の高い新城幸也(ユーロップカー)
フミとは対照的に、目立つ動きを避けた新城。それでも集団内の徹底マークには閉口したか。
単独逃げなど魅せる場面こそあったが、ゴールラインで一番悔しい表情を浮かべたのも彼だった。
それでもヨーロッパ組はやはり図抜けていることを知らせるには、説得力のある走りだった。

fumy
下ハン
フミのフィニッシュライン通過時の写真を見ていると、ほとんど下ハンドルを握っている。
登りの頂上の勾配が緩むところとは言え、どれだけ踏んでいたかがわかる。

fumy
上ハン
集団に戻ったら上ハンドルを握る。力の使い分け。メリハリ。人生と一緒かもしれない。
大切なのは、緩急、柔軟、決断。

attaquant
タフさ
昨年は序盤から逃げて、かつ最後まで勝負に絡んでみせた佐野淳哉。
今年も最初の逃げに乗り、集団吸収後も積極的な走りを見せたが最終局面で残れなかった。
驚くべきタフさを見せる選手だが、まだ足りないのか。

vise le champion...
レースを作る
自ら逃げ、自ら引き、自ら展開する。
レースを作ることのできる選手は多くない。
そしてそれができる選手が勝った全日本選手権だった。


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