2009/11/23

長澤英俊展 オーロラの向かう場所@国立国際美術館(大阪)

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初めて行く美術館はいつだって嬉しいもの。
関西方面で美術館に行ったことがこれまでなかったため、どこにどんな美術館があるかも知らないでいたけれど、大阪が誇るのはこの国立国際美術館。

建物も、ちょっと物々しいけれど自由度が高くて、ずーっとエスカレーターで地下に下っていくのなんて、いつかのベルリンの絵画館を思い出させた。
それに祝日だというのに、空いているのが最高。
広々とした空間を広々と使いながら作品を見られる時間は、とてもゼイタク。

恥ずかしながら長澤英俊氏のことはこの展覧会で知ったのだが、埼玉育ち、自転車でユーラシア横断と、なにか個人的にも感じるものがある。

そんなことで豪放磊落な、ダイナミックな作品を勝手に想像していたのだが、実際はもっとポエティックで理知的な作品が多かった。

ミメーシスを問う「2つの輪」「2つの石」はじっくり見させるものがある。

「バグダッドの葡萄の木」「ゼノビア」を筆頭に、どこかユーラジア(我ながらいい造語だ…)な雰囲気の作風を感じた。ぜったいに、自転車での旅がこのことに影響していると思う。
自転車の速度で見た世界が一つの形として作品に結実した例といってもいいかもしれない。
ちょっとエキゾチックで、このあたりの作品は気に入りました。

その一方で「蜻蛉」なんかは情緒的で、ちょっと狙いすぎな感もあり。金属感と軽さが共存してるところはよかったけれど、世界に出た人間が宿命的に背負う、「日本をどう捉えるか」という命題に無意識に気負っているようにも見られた。

このテの問題はとても難しくて、世界で認められている芸術家が日本では認められにくい現実とか、世界と日本の間にある深遠な溝を感じさせるものだけど、
だからこそこうしたものをふっと飛び越えられる軽さが必要なのだと思う。

クンデラも言うように、「軽さ」をもう少し手に入れられたらといつも思う。
僕は少しも芸術家ではないけれど、いまだにヨーロッパとの距離をどう保っていいか悩み続けている節があって、それはどうも両極端な形で表れがちだから、こういう軽さが欲しくてたまらない。

脱線したけれど、そして矛盾するようだけど、長澤氏の作品は、特定の風土を強く感じさせるものではなかった。
そしてそれが魅力的でもあった。
ニオイのしない多国籍料理屋といった感じ。
見ていて純粋に楽しかったし、こんな大物をどうやって料理するのだろうと想像が膨らんだ。

そして一番気に入った作品は、やっぱり「オーロラの向かう所 柱の森」だった。
暗闇で目が慣れてくるにしたがって立ち上がってくる柱は、森林の木漏れ日のような美しさがあったし、こう目が慣れてくる体験が、自分がいまここに生きている一個の人間であることを教えてくれるような気がした。

こうした物の見え方から存在を浮かび上がらせる手法を、写真平面ではできないものかな。
暗闇の中を、柱に触れながら歩くと柱の太さが違っていることに気づいたり。
暗喩でもそうでなくても、中に入れる芸術作品っていいなあ!

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