部屋の掃除中…はいつも、読みかけの本が出てきたりして、結局掃除にならない。
言葉は人間の本質を描写できないとはよくいわれるけど、時に小説家の言葉にぐっとえぐり出されるような時もある。
これが言葉に携わる人間の仕事なのだろう。
自分自身の表面にとどまることによってのみ人生に耐えられる男であってみれば、他人と接する際にも、自分の表面を与えるだけで済ませてしまうとしても、何の不思議もあるまい。面倒な要求に応じる必要もないし、永続的な関係に縛られる義務もない。それに対し結婚というものは、いわばドアを閉ざしてしまう。生活は狭い空間に限定され、その空間のなかでたえず自分をさらけ出すことを余儀なくされる。ということはつまり、つねに自分の内側を見つめること、自分自身の深みを検証することを強いられるのだ。ドアが開いているかぎり、そういう問題は出てこない。逃げたくなったらいつでも逃げればいい。自己とであれ他者とであれ、望みもしない対峙はたやすく逃げられる。その場を立ち去ればこと足りるのだ。
ポール・オースター『孤独の発明』
あれ、自分へのなんか言い訳めいてる?
まぁこんな引用をしたがるということは、つまりはそういうことなのだ。
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